2015年12月31日木曜日

年末雑感

 今年も大晦日になりました。本当にあっという間の一年でした。とにかく、今年は大勢の皆様に再度市会にお送りをいただき、「さあ、これからだ」という矢先に、私達地方現場の実情をよそに、所属の維新の党が分裂、解散してしまうことになりました。極めて、残念なことでした。
 更に、12月28日付けで私のおおさか維新の会(兵庫維新の会)への所属は「保留」との文書通知がありました。理由は、市会会派が分派していることが、分かりにくいからだ、という理由です。
 そもそも私達は、4月12日に維新の党の公認で、議員定数や報酬の削減など様々な政策を掲げて、10人を市会議員として有権者の皆様にお送りいただいた訳です。だから、国政レベルで分裂しようとどうなろうと、少なくとも神戸市会の私達10人は、分裂を避け一丸となって、政策を遂行しなければならない、という考え方が、私を含めたいわゆる会派執行部の姿勢でした。また、維新の党10人そして民主党1人の議員間の人間関係も極めて良好であった、と振り返るものです。
 ところが、おおさか維新の会になり、11月22日の大阪知事・市長選挙の勝利によって、突然、維新政治塾出身である会派所属の5人の新人議員が、「大阪の選挙が勝ったこの勢いで、すなわちこれが維新なので、自分たち維新塾生の5人で離団して独立したいので、議員団総会を開いてほしい」旨の申し出が、当時、維新の党市議団幹事長であった私に、ありました。これが、11月24日の夜の出来事でした。
 私は、「議員団総会は26日に開催予定なので、その時にしよう。それよりも何が原因でどういうことなのか、事前に話し合いをしよう」という旨を伝えましたが、結論ありきだったと思います。結局、26日の議員団総会の1時間前に代表を含めて私達と話し合いました。その時は、離団届は「一旦預かり」、目の前の明日から始まる市会活動に全力で務めるべき、との事で、市会閉会後に改めて話し合うことになりました。
 その間、彼らと話し合いを私も何度か持ちましたが、結局「話し合い」というものにはなりませんでした。「大阪指令」という印象を持ったのを、今でも鮮明に思い起こします。
私達は、神戸市会議員なので、神戸での改革をはじめ神戸の施策充実に取り組むことが第一の役目だと、私は考えていますし、恐らく他の大半の市議もそう捉えているだろうと推察します。
 橋下徹前大阪市長は、退任の挨拶で、「新市長のもとでは攻撃的な主張を控えて修正妥協で一致点を探っていく、そういうことをしっかりとやっていただきたいと思います」と述べています。また、吉村新市長も当選直後に、「政治は合意形成である」といって、早速各会派の挨拶回りをされたとの記事が新聞に掲載されました。
神戸で起こっていることは、全く逆のことだと思います。極めて、残念な思いでなりません。
いずれにせよ、選挙中に申し上げた公約の実現に邁進することが、今期私に課せられた使命であることを肝に銘じ、全力で神戸市政の発展に努めて参ります。
新たな気持ちで、皆様とともに新年を迎えたいと思います。来年も引き続き、よろしくご支援・ご指導の程、お願い申し上げます。
 皆様、良いお年をお迎え下さい。