2012年9月16日日曜日

無節操

先日、垂水区選出の石丸誠一市議がみんなの党を退会し近く離党、自民党神戸会派に入ったと報じられた。みんなの党市議団は、「除名処分」にした、とも報じられた。全うな決定だろう。平成24年9月12日の神戸新聞記事によると、退会理由は、政策や政治理念の不一致との事。政治に携わる者として、核心的な部分である。その不一致が何なのか、どこが納得出来なかったのか等、本人は説明する責任が、少なくとも彼に投票をした有権者に対して存在するであろう。またマスコミも、その辺りをきちんと報じないと、単なる事実を掲載するだけでは、安物の新聞と同じである。ニュースバリューもなかったのかも知れない。もっとも、私が任期最終の折りに、このブログに書かせていただいたように、神戸市会のマスコミはそこまでしないのが、神戸市会のマスコミである。そもそも、市会のみんなの党は、国政と同じく、公務員改革すなわち公務員と給与の削減、また議員定数の削減は大きな旗印である。だから彼らは、根拠はともかくも、2割削減として報酬を供託したり、議論の進捗もなおざりに、定数削減等の議員提出の条例案を上程している訳である。一方、自民党神戸会派は、神戸市がこれまで進めてきた行財政改革をより一層推進する立場であり、また給与削減や定数削減等、私が知るかぎりでは、聞いたこともないし、むしろ反対ではないか。<br>
 ところで、当該市議は、実は私自身、全く知らない人間ではないのである。むしろ、平成19年の市会議員選挙では、「神戸改革フォーラム」の同じメンバーとして、彼は須磨区から私は垂水区から、戦った仲間であった。19年の選挙では、私がギリギリの当選、彼は厳しい結果であったが、その後、神戸改革フォーラムは、新人では私一人の当選であり、事実上の敗北、解散となった。その時に彼は、改革フォーラムを離党するという事で、その意思表示をどうしたか。何と、改革フォーラムの事務所に離党の旨を記した手紙を送り付けただけであった。政治を志す者、離党という行為は、極めて重大な行為である。その時、特に国会議員の先生方等は、どうされているか。党務を司る幹事長、あるいは代表等に、離党届なるものを自ら提出しに行っているではないか。私は、その時、その重大な決断時に「人と会って話すことすら出来ないんだな」と思った。だから、未だなぜ当時の改革フォーラムを離党したのか少なくとも私は分からない。今回の離党も、私は詳細は全く知らないが、有権者と自ら当選させていただいた党に対する「裏切り」そのものではないか。5年前と、「裏切り」という行為あるいはその体質は、全く変わっていないのである。政治は、世の中を治め、世のため人のために尽くさせていただくことが責務である。今の世のように、むしろ乱れているような政治状態であると、当然、政界再編や所属していても党自体が無くなってしまう等、様々な状況が出てくることは否めない。しかし、どのような状況に遭遇しても、皆さんに対し理念を始め経緯等、政治に携わる者は、少なくとも説明責任が必要である。でないと、議員という身分は皆さんからの信託があって成り立つものであるからだ。すなわち、今の民主党がそうであるように、信用出来ないところに政治は託されない。彼の、堅く守って変えない信念とは、何なのか。しかし、それを良しとするのも、また有権者であり民主政治のあり様である。

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